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間一髪、台風をかわして東京に「沖縄都ホテル」緊迫一泊の旅
ゼロ・ハリ ゼロ・ハリ
「日本のモバイルキング」、「中年ガジェットキング」など数々の異名を持つ。数多くのパソコン雑誌に執筆。購入した携帯グッズはそろそろトン単位に突入か?


快晴の神奈川沖を一路沖縄に向かって飛び立つ
 なぜか今年の日本は台風の当たり年らしい。しかし、筆者が子供の頃には、秋頃にはすでに台風は38号とかいう、今より大きな2桁の数字が並んでいた記憶があるのだが……本当は日本を襲う台風の数は減っているのではないだろうか? それと、もうひとつ、最近はテレビで「大型台風」と言っても、なぜか気合いのある本当に大きな強風台風も昔に比べて減った気がするのは筆者だけなのだろうか? メディアの情報過多なのか、先行情報で騒ぎ過ぎるのか??まあ昔話はここまでにして、今年の沖縄の夏はほぼ1週間のうちに2回も台風が那覇を襲うというハプニングが起こった。これが他人事ならたいした問題でもなかったが、まさに運悪くか、運良くか、は不明だが筆者が巻き込まれてしまった。

 金曜日、抜けるような青空の羽田空港を出発した日本航空のジャンボジェットは順調に沖縄近辺まで飛び、沖縄近海にたどり着いた後は、いつものように不自然に低空を長い間飛行して那覇空港に滑り込みで何とか着陸した。もうかなり昔から那覇上空は全面的に米軍管理の嘉手納基地の管制下にあり、民間機は不自然な低空飛行を強制されている。那覇空港に離着陸する民間機が低空を飛ぶのは、そのためであったが、筆者も昔は海洋王国沖縄を空から見せる為の航空会社の観光サービスだと勝手に理解していた時期があった。


ビジネス利用客も多い都市型ホテル

今では珍しい屋上回転レストランを持つ高台の沖縄都ホテル
 那覇空港からタクシーで「沖縄都ホテル」に直行したころには、すでに空は明らかに台風の雲行きだった。沖縄都ホテルは、那覇空港からタクシーで20分くらいの首里城近くの高台に位置する15階建て、総客室数約300室の比較的古い大型ホテルだ。

 那覇空港からも近く、市内のどこにでも短時間で行ける地の利ゆえに、単なる観光旅行だけではなく、ビジネス利用の客も多い都市型のホテルだ。最上階の15階は沖縄市街を360度見渡せる今では珍しい回転レストランの「花笠」がある。1階のフロントで早速チェックインを済ませ、インターネットで宿泊予約したデラックスツインの客室に入った。


夏休みの団体客の対応を終えてひとまずスッキリしたフロント ごく普通サイズのベッドが2個並んだデラックスツイン

かなり余裕のあるツインルーム

ホテルは高台にあり、那覇市街を見下ろせる
 2つのベッドを置いたスペースを除いてもかなりの余裕のあるツインルームだ。窓側にソファを含む応接の4点セットが置かれているが、狭いという印象はない。

 宿泊のビジネスマンでパソコンを持ち込む客が多いのか、2つのベッドの間にあるナイトテーブルから出ているモジュラーケーブルが2線に分岐されており、その一方がナイトテーブルの上に置かれた電話機に、もう一方には長いモジュラーケーブルが取り付けられており、ケーブルは折り畳んでひとまとめにして、ナイトテーブルの下に収納されている。これは明らかに、ベッドの側ではなく、部屋の反対側にあるデスクスペースでネットワーク接続して仕事をしようというごく普通のビジネスマンが通信ケーブルをベッドサイドから机のところまで引っ張って使えるようにする臨時処置だろう。


ベッドの反対側には大型デスクと応接の4点セットが入って余裕 間接照明の天井など、多少クラシカルだが丁寧に管理されている様子

なぜかRJ11ケーブルが2分岐し、一方は超長いケーブルが……
 筆者も「ネットワーク超無関心のホテル」で嫌と言うほど経験があるが、電話のモジュラーコンセントはベッドの横のナイトテーブルの上の電話機のそば、モバイルPCのACアダプタ用の電源コンセントは部屋の反対側の机のそば、というのがパソコン通信やインターネットが認知される前に建設されたホテルの典型的なレイアウトだ。このようなレイアウトの場合、宿泊客は、モバイルPCを内蔵の充電池だけでベッドの上でネットワーク接続するか、デスク上にモバイルPCをACアダプタ経由でセットし、こんな時のためにいつも持ち歩いている超長いモジュラー延長ケーブルをベッドサイドまで引っ張るか、という二者択一を迫られるのが常だ。

 那覇都ホテルは、利用客から過去にクレームをもらったか、ネットワーク通信に明るいホテルマンの誰かが自主的に気がついたか、のいずれかだろう。

 筆者は出張の場合、最近はほとんどの場合、「ブロードバンド対応ホテル」にしか宿泊しないので、この日もあいにく長いモジュラーケーブルの持ち合わせはなかった。備え付けのあまり格好は良くないが、長いモジュラーケーブルの束が役立ったわけだ。


デスクサイドにはお約束のACアウトレットが用意されている 電話回線のあるベッドサイドにはACアウトレットが見あたらない

長い備え付けのRJ11ケーブルをデスクサイドまで引っ張る ACアウトレットのあるデスクでモバイルPCを使用する

 夕方から台風の風雨がさらに強くなってきて、結局この日の夜は一歩もホテルを出ることができず、夕食もホテルのガイドブックのお薦め通りに15階の回転レストラン「花笠」で摂ることになってしまった。しかし、台風の最中でもなんの影響も受けることなく、ホテルで食事ができること自体、超ラッキーだった。今思えば、時々思い出したように小さくしゃくるような動作で、微妙に時々加速する回転レストランでの食事は、台風と共に意外と楽しい那覇の思い出になった。

 食後ロビーでまたしても次の台風のニュースを小耳にはさんだ。早速部屋に戻ってテレビの天気予報番組を探したが、あいにくその時間帯には放送がなかった。パソコンを取り出し、インターネットに接続してあちこちの天気予報Webを見たが、「地方文化の再生」を目玉に謳っているインターネットの世界こそ、かえって都市集中型で、目的の台風が沖縄近辺にある場合には、ほとんどのWebサイトで台風情報の詳細は取り上げていないことがよくわかった。インターネットWebの世界で台風が話題の中心になるのは、本土上陸が予想された時くらいなのだろう。

 この時ほど地方のテレビ局の方がインターネットより百倍も千倍も旅行者にとって頼りになる存在であることを身をもって感じたことはなかった。インターネットがテレビを置き換えるなんて、まだまだ夢のまた夢だろうと思い知った。結果として、東京で行なわれた翌週の月曜日の打ち合わせに問題なく出席できたのも、詳細でタイムリーな台風情報を琉球放送のテレビ天気予報番組から入手し、インターネットで購入した発券済み航空チケットの便変更を、インターネットではなく「0120の無料ダイヤル」でオペレーターと直接会話し、短時間で無事行なえたことが大きな要素だった。

 インターネットは、第三者的に事態を俯瞰したい場合には充分便利で有効なツールではあるが、まだまだそれだけで情報収集がすべてまかなえるメディアではないことを痛感した次第だ。


復元された赤い首里城を観光

 一晩中台風の風雨が続いたのかどうか、安堵してベッドに入ってすぐに眠りについた筆者にはほとんど記憶がなかったが、翌朝は台風一過、超快晴で爽快な目覚めだった。朝食を食べようと2階のレストランに行ったが、なぜか今度は夏休みの団体で一杯で、とてもゆっくり朝食を食べられる雰囲気ではなかった。幸い、それ程食欲もなく、1階のコーヒーラウンジ「凉傘」で安価でライトウエイトなモーニングサービスにありつけた。昨晩のクイックな行動のお陰で、翌日の日曜日の午後に沖縄を経つ予定だった飛行機の便を一日前に変更し、台風が那覇に上陸する前の今日、東京に帰る準備が整ったので、晴れている合間にプチ観光と国際通りに昼食を兼ねてお土産の買い出しに出かけた。


良い感じのお店だが団体の食券対応ではないのでゆっくり食事できる ヘビーなバイキングではなくヘルシーなモーニングセットを食べる

 ホテルからタクシーですぐの「首里城」は台風の合間をぬって観光しようとするグループでけっこう賑わっていた。 徒歩で守礼門を通り抜け、首里城正殿まで緩やかな上り坂を歩き正殿内をゆっくりと見学した。

 琉球では12世紀頃から各地に「按司(あじ)」と呼ばれる豪族が現れ、やがてそれらを尚巴志(しょうはし)という人物が統一し、最初の統一権力者の地位を確立したようだ。これが尚王家を頂点とする琉球王国の始まりであり、その後、明治維新により生まれた日本政府が琉球に軍隊を派遣し、首里城から国王尚泰(しょうたい)を追放するまでの450年間も継承された王国の全貌であった。

 過去の首里城は15世紀の中頃から太平洋戦争の末期である1945年までの間に失火や戦争で4回消失し、現在の首里城は1712年~1945年までの首里城を復元対象として復元されたものらしい。


有名な「守礼門」を通り抜け、いざ首里城正殿へ! 威風堂々たる「首里城正殿」広場のストライプ模様と正殿の赤がマッチ

唐破風の妻飾は厚めの板を彫刻、それを妻板に貼り付けて彩色したもの 国王尚泰(しょうたい)は城内からのこの眺めを何回見たことだろう?

間一髪で東京に帰着

 東京に帰る飛行機の搭乗時間が近づいたので、預けていた荷物をホテルまで引き取りに行き、そのままタクシーで那覇空港に向かった。空港ロビーは、明日来る台風のニュースがあれほどTVやラジオで流れているにも関わらず、変更の利かない団体ツアー客が多いのか、便を変更してでも早く東京や大阪へ帰ろうとする客で慌ただしい雰囲気はなかった。ちょうど土曜日でもあり、ビジネスマンの姿もあまり見あたらなかった。

 筆者を乗せたJAS554便は予定通り、15時35分に那覇空港を離陸し、オン・スケジュールで17時55分には羽田に到着した。ちょうど、羽田空港で夕食を食べていた時に、同時に沖縄に遊びに行っていた同僚から「いまどこ」コールが入った。幸か不幸か、その同僚はまだ那覇市内に居た。翌日曜日、7月14日には全航空会社の全便が台風のために欠航したのはテレビのニュースで何度も空港ロビーの溢れた乗客風景が映し出されたのでご存知の方も多いだろう。

 地方で台風に巻き込まれたら、1番にローカルテレビのお天気番組、2番、3番が無くて最後にインターネット、このプライオリティはしばらくは変わらないだろう。

 はぶふぁん!


琉球の街を見下ろすシーサ お土産を選ぶならポピュラーな国際通りも良いが市場も抜群だ!

・ 沖縄都ホテル
  http://www.okinawa-miyako-hotel.co.jp/
・ 首里城公園
  http://www.shurijo-park.go.jp/


(ゼロ・ハリ)
2002/08/26 11:09

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