モバイルを加速させるクアルコムの最新テクノロジー

法林岳之
1963年神奈川県出身。携帯電話をはじめ、パソコン関連の解説記事や製品試用レポートなどを執筆。「できるWindows 7」「できるPRO BlackBerry サーバー構築」(インプレスジャパン)、「お父さんのための携帯電話ABC」(NHK出版)など、著書も多数。ホームページはPC用の他、各ケータイに対応。Impress Watch Videoで「法林岳之のケータイしようぜ!!」も配信中。


 6月30日~7月1日にかけ、米クアルコムは、サンディエゴにおいて、開発者などを対象にしたプライベートイベント「Uplinq 2010 Conference」を開催した。筆者もサンディエゴに赴き、取材をすることができたので、同社の最新動向などを含め、レポートしよう。

創立25周年を迎えた米クアルコム

 クアルコムと言えば、CDMA技術を開発したことで知られるほか、我々の身近なところでもauのケータイなどに搭載されているチップセット「MSMシリーズ」、多くのスマートフォンに搭載されるCPU「Snapdragonシリーズ」、携帯向け放送サービス「MediaFLO」など、モバイルに関わるさまざまな技術を開発し、製品化してきたことで知られる。ケータイ業界では、携帯電話事業者や端末メーカー、コンテンツプロバイダーなどが注目されがちだが、クアルコムは言わば、縁の下の力持ちのような存在として、世界の通信業界、モバイル業界に深く関わってきている。

基調講演には米クアルコムCEOのPaul Jacobsをはじめ、AT&TやVerizon Wireless、Sprintなどの幹部が相次いで登壇

 そんなクアルコムが開発者などを対象にしたプライベートイベント「Uplinq 2010 Conference」を開催した。従来は同社の携帯電話向けプラットフォーム「BREW」の名を冠した「BREW Conference」の名称で毎年、開催されてきたが、市場環境の変化とともに、同社が7月1日に創立25周年を迎えたこともあり、今回からは「Uplinq 2010 Conference」の名称で開催されることになった。

 「Uplinq 2010 Conference」では、同社CEOのPaul Jacobs氏をはじめ、AT&TやVerizon Wirelessの幹部による基調講演、さまざまな技術や動向を解説する講演などが行なわれた。基調講演や各セッションについては、すでに本誌にレポートが掲載されているので、そちらを参照していただきたいが、ここでは筆者が得た印象などを交えながら、それぞれの取材について、紹介しよう。

 

モバイル通信技術の発想が活かされた「MediaFLO」

今回試用したHTC製MediaFLO端末「FLO TV PTV350」。実はサンディエゴ到着前、ロサンゼルス空港の自動販売機で売られているとこも見かけていた

 クアルコムはさまざまな通信技術を開発し、世界はもちろん、日本のケータイの進化にも大きな影響を与えてきたが、今、日本のケータイ業界にとって、同社の技術でもっとも気になるものと言えば、やはり、「MediaFLO」をおいて、他にないだろう。

 MediaFLOはモバイル向けマルチメディアコンテンツ配信サービスのプラットフォームで、現在、国内では「携帯端末向けマルチメディア放送」として、NTTドコモなどが推す「ISDB-Tmm方式」と採用を争っている。この携帯端末向けマルチメディア放送は、テレビ放送がアナログ放送からデジタル放送に切り替わり、周波数の再編後に空いた帯域を使い、移動体向けにワンセグとは違った新しい放送サービスを提供しようというものだ。どちらの方式や計画が優れているかという点については、ここでは触れないが、実際のデモ環境はほとんど見られないISDB-Tmm方式に対し、MediaFLOはすでに米国でAT&TやVerizon Wirelessに加え、クアルコム自身も商用サービスを提供している。台湾でも事業会社設立に向け、クアルコムとFAR EASTONEが覚書を締結している。

 今回、数日間の滞在期間中だったが、実際に商用サービスが視聴できるHTC製端末「FLO TV PTV350」という端末を借りることができた。本体は3.5インチのディスプレイを搭載しており、画面のタッチ操作、前面及び側面のボタンで操作をする。ボディはスマートフォンなどに近いサイズで、背面側のカバーを倒すことで、机の上などに置いて、視聴できるスタイルになる。チャンネルは画面のフリック操作で切り替えることができ、切り替えのレスポンスもなかなか速い。今回は屋外よりも屋内で視聴することが多かったが、MediaFLOが元々、掲げている「壁を2枚、超える環境での視聴」も十分に可能なレベルの視聴だった。壁2枚超えの視聴というと、わかりにくいかもしれないが、簡単に言ってしまえば、建物や家屋の窓際ではなく、もう1枚、ドアを隔てた部屋の中でもきちんと視聴できるということだ。ちなみに、利用する環境はさまざまなので、一概に比較できるものでもないが、滞在中に使っていたケータイは電波状態が良くなく、通信が不安定なのに、FLO TVは快適に視聴できるというシチュエーションもあった。周波数帯にもよるが、MediaFLOがある地域を緩やかにカバーすることを目指した「放送」的な発想のものではなく、ユーザーが活動する場所も考慮した「モバイル通信」的な発想が活かされたサービスとして、設計されているようだ。

3.5インチのQVGA表示が可能な液晶ディスプレイを搭載。チャンネル切り替えのレスポンスも良好背面にはステレオスピーカーを備える。カバー部分を動かすと、スタンドスタイルになる
番組表もすぐに表示することができる。選択したチャンネルだけでなく、前後のチャンネルもわかるのは便利だ端末内の設定画面。Reminders(予約)やParental Controls(保護者管理機能)なども搭載されている

 MediaFLOがもうひとつユニークなのは、当初からの構想に入っていた「クリップキャスト」と呼ばれるサービスだ。残念ながら、現時点では米国でサービスが提供されていないため、今回は試用できなかったが、クリップキャストは放送波にさまざまなデータを乗せて、ユーザーの端末に一斉に配信することができるという特徴を持つ。たとえば、音楽や画像、映像、電子書籍などのコンテンツをユーザーに配信しておき、ユーザーは欲しいデータのキーを購入し、楽しむといった使い方ができる。先日、ソフトバンクが電子書籍配信サービス「ビューン」を開始した直後、サーバーやネットワークに負荷が掛かり、一時的にサービス停止に追い込まれることがあったが、あの例を見てもわかるように、電子書籍のような大容量コンテンツもある一定以上のサイズになってしまうと、3Gなどのモバイル通信ネットワークで配信するのはあまり効率的とは言えない状況にある。これに対し、MediaFLOのクリップキャストは放送のように、広いエリアに一斉に大容量データを配信でき、端末にデータを蓄積しておくことができるため、既存のモバイル通信ネットワークにも必要以上の負荷を掛けなくても済むわけだ。最終的に、日本では利用できるのかどうかはわからないが、MediaFLOのクリップキャストは、成熟したサービスが展開されている日本のような環境で活用することで、モバイルインターネットの環境を大きく進化させることになるのかもしれない。

 

バックライトなしでもカラー表示「mirasol」

 米クアルコムというと、モバイル通信技術の企業であるというイメージばかりが強いが、新たにディスプレイのジャンルにもチャレンジしようとしている。それが「mirasol」と呼ばれる新しいディスプレイ技術だ。

低消費電力ながら、バックライトなしでカラー表示を可能にしたmirasol。電子書籍端末用としては期待できそうだ

 現在、ディスプレイと言えば、圧倒的に液晶ディスプレイが広く利用されている一方、最近では自己発光が可能で、発色にも優れた有機ELディスプレイもケータイやスマートフォンに採用されつつある。また、米AmazonのKindleのように、電子書籍端末の世界では商品電力の少なさを重視し、電子ペーパーが採用されている。しかし、液晶ディスプレイは一部の例外を除き、バックライトが必要なため、消費電力が大きく、電子ペーパーは今のところモノクロ表示が主流と言える。これに対し、mirasolはバックライトなしでもカラー表示ができ、動画などにも対応でき、なおかつ消費電力が少ないという特徴を持つ。つまり、現状の液晶ディスプレイと電子ペーパーの中間的な位置付けのディスプレイということになる。たとえば、iPadのような端末に搭載すれば、バッテリー駆動時間は約3倍になるという。

 mirasolがカラー表示と省電力を両立させているのは、そのユニークな構造にある。たとえば、蝶の羽根は見る角度によって、色が変化することが知られているが、この原理を応用し、赤、緑、青の三原色のピクセルに、いわゆるMEMS(Micro Electro-Mechanical System)レベルの微細なメカを組み合わせることで、入ってくる光と出て行く光の角度をコントロールし、カラー表示を実現している。実際に見た印象はバックライトがない反射型の液晶ディスプレイに近く、応答速度や視野角も電子書籍端末などであれば、十分に実用になるレベルだが、如何せん、反射型という構造であるため、暗いところではまったく見えなくなってしまう。そこで、LEDなどによるフロントライトを装備した製品も開発しているという。

 実際にmirasolを搭載した製品は、年末から来年はじめにかけて、電子書籍端末として登場する見込みだが、スマートフォンや他の製品にも搭載するべく、さらに開発を続けていくという。国内でもシャープのメモリ液晶のように、用途に応じた新しいディスプレイの搭載例が増えているが、mirasolもパネルのみの比較で液晶ディスプレイの1/20という低消費電力を活かし、電子書籍端末をはじめとした新しいモバイル機器に搭載されるようになりそうだ。

 

紙や布などのさまざまなものの視覚を拡張する「Vision-Based AR」

 iPhoneをはじめとするスマートフォンが普及する中、ここ数年、急速に活用例が増えてきたのが「AR(Augmented Reality/拡張現実)」だ。ARは端末に搭載されているカメラのファインダーや、ヘッドマウントディスプレイなどを通して見ることで、本来、そこには存在しないものをあたかも存在するように拡張して、視覚的に表現するというもので、身近なところではiPhone用をはじめ、auのIS01などにも搭載された「セカイカメラ」が挙げられる。

 現在、こうしたAR技術によるアプリは、GPSなどによる位置情報、端末に搭載されているジャイロセンサーなどを活かし、さまざまな情報を表現している。たとえば、つい最近もコンビニエンスストアのローソンが映画「ヱヴァンゲリヲン」とタイアップし、箱根でiPhone用の専用ARアプリを起動すると、映画の設定と同じように、ヱヴァンゲリヲン初号機が画面上に表示されるというキャンペーンを実施していた。

基調講演でも披露

 ただ、ARは「Augmented Reality/拡張現実」という言葉からもわかるように、本来は現実的に見えているものを電子情報で拡張するというもので、必ずしも位置情報などを活用するものではない。今回、米クアルコムが明らかにしたARへの取り組みは、「Vision-Based AR」と呼ばれ、その名の通り、視覚情報を基にしたARとなっている。実際の応用例として、玩具メーカーの米Mattel、3DゲームエンジンのソフトウェアベンダーであるUnityとともに、デモが公開されていたが、何の変哲もない1枚の布に向かって、ARアプリを起動した端末をかざすと、ディスプレイ上にロボットが表示され、そこでロボット同士が対戦するゲームが楽しめるというものだった。もうひとつはRPGのようなマップ上にキャラクターが表示され、そこをキャラクターが歩きつつ、端末の向きを変えると、視覚的に異なる向きも確認したりできるというものだ。

 このVision-Based ARの仕組みはわかりやすいもので、拡張現実を表示するときのキーとなる紙や布などの特徴点をあらかじめアプリ側に登録しておき、その特徴点に合致する視覚情報がカメラから入力されると、ディスプレイ上に拡張現実が表示される。たとえば、出版社が雑誌の記事などの特徴点をアプリに登録しておき、購入した人は誌面の情報を見るだけでなく、アプリを通して、ディスプレイ上でも別の視覚情報を楽しめるといった活用もできるわけだ。もちろん、出版以外でもファッションやインテリア、観光案内など、いろいろな形で応用ができそうな技術だ。ちなみに、米クアルコムでは今秋をメドに、ARアプリケーションを開発するためのSDK(ソフトウェア開発キット)を公開する予定で、アプリケーションの開発コンテストも実施される。

 

ケータイ&スマートフォンを加速させる「Snapdragon」

 MediaFLOの展開をはじめ、mirasolやVision-Based ARといった新しい取り組みではないが、今回の取材ではSnapdragonについても内容を詳しく聞くことができた。

 Snapdragonと言えば、初搭載となった東芝製の「TG01」(国内ではNTTドコモが「T-01A」、ソフトバンクが「X02T」として発売)をはじめ、ソニー・エリクソン製端末「Xperia」、auのシャープ製端末「IS01」、ソフトバンクのHTC製端末「HTC Desire」など、数多くのスマートフォンに搭載され、今夏にはauの夏モデル「BRAVIA Phone S004」「REGZA Phone T004」にも搭載されるなど、一気に市場を拡大している。

SnapDragonについては、Uplinq 2010 Conferenceとは別に、米クアルコムVice President, Computing and Consumer Products GroupのMark Frankel氏に説明いただいた

 Snapdragonがこうした幅広いラインアップに採用されてきた背景には、他社に比べ、約2年近く早く1GHzという高クロック周波数によるハイパフォーマンスを実現したことが関係しているが、そこにはクアルコムならではのアドバンテージがうまく活かされている。

 SnapdragonがARMベースのプロセッサであることは知られているが、実は英ARMからライセンスを受けて設計されたものではなく、米ノースカロライナにある同社のCPUデザインチームによって、独自に開発されているのだという。しかも自社に工場を持たないFabレスであるため、その時々に応じた最適なプロセスによる設計や生産も可能になる。たとえば、現在、市場に出ている端末に搭載されているSnapdragonのプロセスルールは65nmだが、すでに45nmのサンプルができており、来年以降には28nmも計画されている。

 また、現在市場で販売されている端末に搭載されているSnapdragonは、1GHz動作のQSD8650だが、今後は1.3GHzや1.5GHzといったハイエンド向けのものから800MHzのクロックで動作するローエンドのものまで、幅広いラインアップを取り揃えられる。今年6月に台湾で開催されたComputex Taipeiでは、初のデュアルコア搭載の「MSM8260」「MSM8660」も発表されており、マルチコアへの道筋も見えてきている。

 ところで、パソコンを見てきた読者なら、今後、ケータイのCPUでもグラフィック処理やマルチメディア処理のパフォーマンスが重要になることは容易に想像できるだろう。米クアルコムは数年前にATI(現在はAMD傘下)のモバイル向けグラフィックチップ部門を買収しており、3Dを含めたグラフィック処理のリソースが現在のSnapdragonに活かされているという。その結果、無線通信部分、GPS、CPU、マルチメディア、グラフィックという5つの要素を1つのチップに統合できており、しかも内製であるがゆえに、メモリーのバス幅や省電力などを細かくデザインできるため、容易に幅広いラインアップの展開を可能にしている。

 今後、スマートフォンもユーザーのニーズの細分化などにより、多様なラインアップが求められることが予想されるが、ハイエンドからローエンドまで、幅広いラインアップを取り揃えられるSnapdragonは、こうしたニーズに着実に応えていく製品と言えそうだ。

 

モバイルの進化を支える最新テクノロジー

米クアルコム本社のホールには、これまでに取得した特許などが掲示された「Patent Wall」がある。この1カ所だけでなく、いくつかの場所に掲示されているという

 今回、「Uplinq 2010 Conference」で取材した最新技術をいくつか紹介してきたが、冒頭で触れたように、米クアルコムと言えば、モバイル業界に欠かせない数多くの技術を開発し、さまざまな特許を取得してきたことでも知られる。その特許数は米国で1万2600件、米国外5万9200件が成立済み、もしくは申請済みだという。特許というと、庶民はどうもお金の話ばかりを想像してしまいがちだが(笑)、今回紹介したmirasolやVision-Based ARのように、既存の製品やサービスに留まらない新しい技術へのチャレンジがくり返されることで、結果的に我々のケータイやスマートフォンが進化し、モバイル環境が一段と便利に使いやすくなることにつながっている。その意味でも米クアルコムの取り組みには、今後も注目をしていく必要がありそうだ。

 また、今回の「Uplinq 2010 Conference」には、通信業界やモバイル業界の開発者や関係者が数多く参加していたが、残念ながら、日本人はほとんど見かけることがなく、アジア系で見かけたのは中国や韓国の人たちばかりだった。いっしょにサンディエゴで取材をした同行者によれば、数年前は多くの日本人関係者も見かけたのだという。国内メーカーの海外進出が期待されている現状を考えれば、こういった場所にも積極的に出向き、さまざまな企業とのやり取りを実現させて欲しいところなのだが……。もし、来年も開催されるようであれば、ぜひ、国内の関係者と現地でお会いできることを期待したい。

 



(法林岳之)

2010/7/8 13:49