インタビュー

スマートフォンアプリ開発のツボ

スマートフォンアプリ開発のツボ

矢野りん氏に聞く、Simeji・スマホアプリのデザイン

 「Simeji」は、文字入力を補助する「IME」と呼ばれる分野で、Androidの黎明期から高い人気を誇ってきた日本語入力アプリ。無料アプリとして提供されており、累計500万ダウンロードを突破している。

 外部のアプリと連携できる機能「マッシュルーム」を早期に導入したことをはじめ、Social IMEへの対応や、背景画像を変更する“スキン”の概念を導入するなど、先進的でユニークな機能やユーザーインターフェエイスを取り込む姿勢は、多くのアプリ開発者に示唆を投げかけてきた。

 インタビュー取材に応じていただいたのは、「Simeji」の開発者・デザイナーで、バイドゥ モバイルプロダクト事業部 マネージャーの矢野りん氏。Baiduの傘下に収まってからの「Simeji」はどう変わってきたのか。これまでの経緯も踏まえながら、「Simeji」の今後、そしてスマートフォンアプリのデザインについても聞いた。

バイドゥ モバイルプロダクト事業部 マネージャーの矢野りん氏

「Simeji」の誕生とAndroid黎明期

――「Simeji」開発のきっかけをまず教えてもらえますか?

 当時のAndroidの実機では日本語変換ができなかったので、足立(開発者の足立昌彦氏)が開発を始めたのがきっかけでした。Androidが面白いと、足立が思ったこともあると思います。

 当時は楽しいことばかりで、あまり苦労した思い出はありませんね。あと、立ち上がった当初のAndroidのコミュニティは、“組込系”の開発者が多かったですね。

――当時、すでにiPhoneもありましたが、そちらに関心は?

 当時のAndroidコミュニティには、ハードに対する夢、みたいなものがあったと思います。まっ先にルートを取って、自分だけの“ケータイ”を作れる……そういうハードをコントロールする喜びが、当時からあったのだと思います。

――そうした中で、いわゆる開発者・プログラマーではない矢野さんが関わることになったきっかけはどういうものだったのでしょうか。

 “いつかはデザインが必要になる”という考えからでしょうか。結局は人が使うものですし、自分のおもちゃとして作っても、人に渡り、使われることになる――当時、Androidはやがて注目されることが分かっていたのに、デザイン面で見せ方がまったく考えられていないのはどうしたものだろう、と考えていました。

 そうしたデザイン面でも気をつけようとアピールするために、「コミュニティで集まる時はこれを着て」と、かっこよくデザインしたTシャツを作って配ったこともありました。今考えると、ウザかったかもしれませんね(笑)。

 足立とは性格が合っていたのか、二人が中心になって「Simeji」を開発していました。

――2011年にBaiduの傘下に入るわけですが、この経緯は?

 かなり、計画性はないですね(笑)。ただ、「Simeji」をこれ以上大きくするためには、ほかの人の手が必要だと思っていました。また、使命感がはっきりとあったわけではないですが、どこまでできるか、試してみたかったという部分もあります。個人レベルのプロジェクトでは、広がりも一定以上には望めず、それに必要な資金もない。ほかの人の手を入れたら、どこまでいくんだろう? と試してみたかったのです。

――当時、収益化は考えていましたか?

 まったく考えていませんでしたね。広告を入れた部分はありましたが、それで食べていけるとは考えていませんでしたし、当時はそういう時期でもなかったと思います。

 足立も開発を面白がってやっていたと思います。“最も活用されるアプリ”としてIMEを選ぶとか、そうした計算の上で始めてはいますが、その後の取捨選択は自由な感じでした。

「Simeji」を“メジャー化”させていくには

――Android向けの日本語入力システムとしてすでにライバルも登場していますが、“強み”が変わったりしたのでしょうか。

Simeji

 アプリを面白がって作るのが最初の1~2年で、動けばいい、みたいな時期です。それを続けていくと、ユーザーが求めている機能をどれだけ入れるか、という時期になる。ここまでを成功させると、メジャーになっていくのではないでしょうか。

 そうした意味で「Simeji」がメジャーを意識したのは最近で、そういう開発のスタイルをとれたから、という点もあります。

――プリインストールのIMEを置き換えてもらうのは難しいですか?

 バイドゥが行った調査によると、Androidユーザーの約3割しかIMEをインストールした経験がないと回答しました。この結果からも、いかに(総合的に)コストがかかるか、ということは分かります。プリインストールアプリとして採用される働きかけもないわけではありませんが、基本的には製品そのものの面白さでユーザーに選ばれるのが理想です。そうなるように頑張ります。

 ユーザーにとって面白い機能や、不便に思っている点を改善する機能を入れる時期で、まだ成長の段階にあるとおもいます。デザイン面でのトライアルや、運用の面でも、まだまだ面白くなることはあると思います。

――Baiduの傘下になるにあたって、会社側は「Baidu IME」との相乗効果も見込んでいたのではないでしょうか?

 「Simeji」はモバイルプロダクトであって、パソコン向けの「Baidu IME」とはユーザーニーズも異なりますが、変換エンジンを共有するなど開発する上でお互いのよいところは見習っています。

――iOS向けはどうでしょうか。

 やってみたいですね。ただ、現状はIMEとしての提供は難しいですし、「IMEとしてがんばる」というのも少し違う気がしてきています。今までの「Simeji」も、IMEと呼ぶのを止めようか、という話も出てきます(笑)。

――純粋なIMEではなく、付加価値を付けていく、と。

 今までスマートフォンといえば、少し高級で、年齢層も30代~20代後半、リテラシーの高いユーザー層が使うものでしたが、物事を押し広げたり、思いもよらない使い方をしたり、ムーブメントを作るのは若い人ですから、メジャーを狙う製品である以上、若い人に受けるものに逃げずに挑戦したいですね。

 実際に若い人に集まってもらって調査しても、「IME」と言っても通じないですし、「変換」ぐらいでなんとか通じるといった具合です。若い人の中には、自分の端末の設定がケータイ入力か、フリック入力かを認識していない人もいます。“IMEの常識”を押し付けようとしても時間がかかると感じますし、そうではないアプローチで面白がってもらえないかと考えています。

――初音ミクと「Simeji」のコラボなども発表されていますが、IMEの存在を意識していない人に、いかに変えてもらえるか、という部分ですね。

 (クラシックやオペラで有名な)オーチャードホールで初音ミクのオペラがありましたが、観客はまさにオペラを見にくるような格好の年配の人から、若いミクのコスプレの人までいて、同じ場所で同じものを見ていて、「これはもう、分かんないな」と(笑)。カオス化してますね。アプリの開発者も、こうしたものに親しむとか、“オタクだから”という思い込みを払拭して、いろいろなところへ踏み込んでいけばいいと思いました。

――足立さんは、踏み込んでいくタイプですか?

 ちょっと閉じたところもありますが(笑)、開発者としては踏み込んでいくタイプだと思います。ただ、(開発者とデザイナーという)担当が違うという部分もありますから。

Baiduでの開発と変化

――Baiduの中に入って、しばらく仕事をしてみての感想はどうでしょう。

 ぶっちゃけ、謎な感じですね(笑)。とはいえ、会社自体は、本当に普通に開発会社だなという感じです。若い人が多く、うちのチームも20代ばかりですごく優秀です。開発は中国側で中国人が中心です。あまり上下関係はなく、フラットな感じですね。常時20人ぐらいの体制でしょうか。

 深センに開発チームがいるのですが、会社がめちゃ暑いんですよね(笑)。なのにみんな平気で。

――日本のBaiduのオフィスは、中国っぽくない?

 そうですね。あまりにも国柄が違いますし、同じになりようがないですね。「Simeji」のチームはみんな日本語喋れますよ。

――日本語を客観的に見られるから出てきたアイデアもあるのでしょうか。

 客観的に見られるのは、あるかもしれませんね。中国では、9割の人がIMEを変更すると言われ、プリインストールされているものから、コンテンツを持っている企業のタイプアプリに変えてしまうんです。

 そのタイプアプリは私たちからするとけっこう不思議な作りで、熾烈な感じです。あるところを押すとアプリマーケットにすぐにアクセスしたり、常にどこかに広告が表示されていたり、盛りだくさんなんですよ。基本的に効率重視で、URLを入力して別のアプリで開いて~みたいなことはまどろっこしい、IMEの中で完結すればそのほうが速いし、みたいな考えです。ユニークユーザー1億とかのIMEもありますし、そういう中国の市場をみていると、発想も柔軟になるんだと思います。

スマートフォンアプリと“デザイン”の関係

――スマートフォンアプリのデザイン全般について、伺いたいと思います。

 デザインをどう使っていけばいいのか、という部分ですが、私の意見としては、スタートアップの最初の半年間ぐらいは、“デザインの力”は要らないと思っています。開発者が正しいと思うものを、半ば思い込みでもいいので形にして、サービスとして回るように短期間で作り上げるのが重要で、この期間にデザインの力は要らないと思います。

 これは、音楽に例えると、メジャーになりたくて、ギター一本を持って駅前で歌い出した時期です。見え方はまだ重要ではなく、歌っているところを見てもらえればいい。

 その先、例えば「サザンオールスターズのようになりたい」と言い出したら、デザインの力も必要になってきます。音楽の世界でも、メジャーになるには絶対にデザインの力は必要ですし、ジャケットデザイン、衣装、イベントなど、さまざまな人の手を借りていくことになります。

 基本的な部分、「サービスの世の中に対する有用性」は、あまり外見は関係ないと私は考えています。

――IMEは地味な存在ですが、接触機会は多い。PCの世界では枯れた技術とも言えますが、スマートフォン上ではデザインを含めて、改めて作らなければならなかった分野、ということでしょうか。

 これだけ頻繁に使うものでありながら、これまでのIMEにはエモーショナルな部分が無かった。ずっと使い続けているものって、どこかに使っていて楽しい部分があると思いますし、それを最もうまく実現して製品にしているのがiPhoneだと思いますが、IME自体もそうした毎日使って楽しい物になれば、スマートフォンを使うこと自体が楽しくなるのかなと思います。

 「Simeji」で言えば、背景を変えられたり、変な顔文字を打てたりしますが、そういうのも、楽しいのかなと。

「フラットデザイン」の難しさとは

――デザインという意味では、iOS 7の発表で「フラットデザイン」が話題になっています。

iOS 7

 対象を抽象化している、という意味ではいいと思います。この方向に行くだろうと前から思っていたので。これまでずっと「コンテンツファースト」(すべてはコンテンツを流通させるためという、コンテンツを中心に据えた考え方)が叫ばれてきましたが、さまざまな形で情報を消費するための道具になるなら、ボタンが(現実にある)ボタンの形を模していて、押さなければ何も起こらない、という形はおかしいよねと話していました。

 やがて操作性が抽象化され、このあたりを触ればなんとかなるじゃない? というところまでいくのではないかと思います。それが今はまだ線で区切られている、というイメージです。これが今のフラットデザインで、進歩の過程ではないかと思います。

――入力インターフェイスとしてIMEを考えると、フィーチャーフォンの時代の入力方法もあって、ボタンをボタンらしく表示しないといけない過渡期なのだと思いますが、IME自体もそうしたフラットなデザインに向かうのでしょうか?

 難しいですね。ユーザーの慣れの問題もあるので。「Simeji」に関しては、うっかり、数年前にフラットデザインにしてしまったんですね(笑)。賛否両論はあったんですが、フラットにするとパッと見はスッキリしますし、特に「Simeji」は早い段階で背景の変更機能を計画していたので、ボタンの影などを表示しないようにしていました。

 弊害としては、押すという行為には視覚的な部分も重要で、ボタンっぽく膨らんでいるバージョンも欲しいという意見がありました。ユーザーがどちらかを選べることが重要で、いかにそれをスムーズに選択できるかは大事だと思いました。

――デザイン面では、まわりのUIとの関係性や調整も大変そうです。

 形を抽象化すると、操作した瞬間の反応、その動きに対するコストがかかるようになります。人間は、形がぼんやりとしか認識できなくても、“動き”によって意味付けを行う、ということをします。例えば「INFOBAR」は、形としては抽象的ですが、動きを見ると「魚みたい」と感じることがありました。形はどうとでも解釈できる形でありながら、動きは生き物の動きを使っているわけです。動きさえあれば、何が起こっているか、結果がどう反映されたか、理解できるのです。

 ただ、それを反映させるための開発テクニックというのは、非常に難しい。

 また、現実的な話に戻りますが、「Simeji」は開発が中国なので、そうした感覚的な部分を伝えにくいんですよ(笑)。結局、毎月1週間ほど実際に深センに行くわけです。体力的には大変ですね。フラットデザインでコミュニケーションコストが上がった! みたいな(笑)。

 開発者・デザイナーの多くは、そのあたりに気が付いていると思いますよ。フラットになると「作るの簡単そう」と思われがちですが、動きを付けないといけないので逆に難しくなっています。できあがった画面のスクリーンショットを見ただけでは分からない部分ですね。

初期設定を分かりやすく、背景変更も自由度が向上

――「Simeji」でこだわっている部分やオススメの使い方はありますか?

 最新版は不具合を修正したバージョンになっていますが、初期設定の流れを変えました。スマートフォンを使い倒していないユーザーが設定しやすいように考えて作りました。

 裏ワザ的な部分では、キートップの背景を変更するスキン機能の中に、ローカルスキンという機能があるのですが、これの使い勝手を向上させました。これまで、写真は編集済みであることが前提で、特定のフォルダに置く必要がありましたが、最近のバージョンではAndroid標準のギャラリーと連携できるようにし、その際のトリミングも「Simeji」に合わせた縦横比で行えるようになっています。これができるようになったので、若いユーザーが自分の写真をキートップの背景にするといった例も見かけるようになりましたね。

 IMEなのにエンターテイメント性がある、という風にしていきたいとは思っています。メジャー化が達成できたとしても、個性的である点は大切にしたいですね。

――本日はどうもありがとうございました。

太田 亮三