インタビュー

UPQ中澤社長の「モノづくり」への情熱

「顔の見えるメーカーの人」になるまで

 8月6日、ブルーグリーンに彩られた個性的な家具・家電24製品を揃えて登場した新ブランド「UPQ」(アップキュー)。全製品の企画開発を2カ月で行ったという代表取締役CEOの中澤優子氏は、カシオ計算機(のちカシオ日立、NECカシオ)で商品企画を担当していた経歴を持つ。日本では珍しいハードウェアスタートアップとして、日夜開発に奔走する同氏の「モノづくり」へのこだわりに迫った。

「ケータイ世代だからこそ、ケータイを作りたい」

――カシオに入社された時から、「モノづくりをやりたい」という思いがあったのでしょうか。

中澤氏
 はい。実は私、かなりの機械音痴なのです。テレビは叩けば直ると思っていたし、フリーズしたら電源を長押し、今でも時々やってしまいます。それでも、中学生の頃から使ってきたケータイだけは使いこなしていました。着信音はこうやって作るとか、この文字をもっと早く打つにはこうするとか、ここの機能をこうやって使うとこうなるとか。

 でも、当時の携帯電話は、なんかダサい。女子向けならピンクだろう、という発想でオジさんたちが作っているんじゃないかなと。私たちの持ちたいモノと違うな、と感じていました。

 ヘビーユーザーとして感じていたことと、大学時代にアルバイトで携帯電話販売店のスタッフとして経験していたこともきっかけになっています。毎シーズンで20〜30の新機種が並んでいた当時、「黙っていても売れていく機種」と「どんな販売スキルを使っても売りづらい機種」がありました。ただ、新製品の説明会で話をきくと、どの端末を作っているメーカーの人も、一生懸命に開発をしているのだと、学生ながらに思っていました。

 「せっかく頑張って作ったのだから、実際に持ってもらいたい」という思いを持ち、就職活動では、携帯電話メーカー各社をまわって「ケータイ世代だからこそケータイを作りたい。私が作るとこうなる、というモノを売りたい」と、アピールしました。

 どのメーカーも「何言ってるんだ」となしのつぶてだったのですが、唯一カシオだけは「やってみたらいいんじゃない」と言ってくれました。

「メーカーの色」にこだわったカシオ時代

――カシオでの経験をお聞かせください。

中澤氏
 入社研修の後、代理店スタッフとしての経験を買われ、キャリア営業に配属になったのですが、すぐに商品企画に異動となりました。当時ソフトバンク向けに新規参入を図っていたカシオで、フィーチャーフォン「830CA」と「930CA」の商品企画に携わりました。「830CA」は、ローミドル(ミドルレンジ〜ローエンドの中間)の機種で、2008年の11月に発売されました。「930CA」は、翌2009年の1月に発売された、ハイエンドモデルです。

カシオ計算機の「830CA」(2008年発売)

 当時、カシオでは、2機種をほぼ同時に開発していて、片方をローミドルにして、すぐ後に出す「930CA」を際立たせる戦略でした。ローミドルの「830CA」にも、カシオらしい要素を一つ入れたい、ということで、強化されたカメラ機能の中に、自分撮り機能「美撮りモード」を盛り込みました。

 自分撮りを強化するアイデアは私以外からも出ていて、それは“プリクラモード”を入れよう、というものでした。プリクラにするとおもちゃの方向性に振れてしまう。せっかく“カメラが綺麗なカシオ”という評判があるのに、ソフトバンクの初参入のモデルで、おもちゃのカメラでいいのか。私はそうは思わない、という話をして。それがスタートでした。

 その後、カシオ日立からNECカシオへと再編されていく中で、au向けのフィーチャーフォン「beskey」や「CA007」などの機種で商品企画を担当しました。最終的には全キャリア向けの製品開発を共通化するプロジェクトを担当しました。

 最後の仕事はドコモ向けのスマートフォン「MEDIAS W N-05E」です。ヒンジに強いこだわりをもっていたNECカシオとして、どうにかそれを形にしたいという思いもあって。チームで3カ月籠り切ってプロトタイプの完成までこぎ着けました。ちょうどその時期にNECカシオがスマートフォン市場から撤退することになりまして、発売を前に退職することになりました。

メーカーを退職してカフェオーナーに

――退職したのち、秋葉原でカフェを開業されましたが、なぜカフェだったのでしょうか。

中澤氏
 退職する日に社内に向けてメッセージを書きました。昨日久しぶりに読み返したのですが、ケータイを作りたくて入ったカシオをやめなくてはいけないという状況をどう思っているのかということを書いていて。

 当時、優秀なエンジニアが何人も辞めざるを得ない状況に追い込まれていました。その人たちは、30〜40代で、他のメーカーへ移るにしてもそこそこのポジションなので、なかなか雇い口がない。ハローワークに通ったり、モノづくりとは関係のない、仕分けのアルバイトをされていた方もいました。

 でも、みんな、昔のことを語るときは目がキラキラしているのですよね。「ケータイを作るのはこんなに楽しいんだよ」と。「泥臭いことを積み重ねて製品を作っていたんだ」と。“昭和の日本的な”泥臭いモノづくりをしていたのだなあと。

 私が入社した頃には、組織としても大きくなっていき、人も増えて、システマティックになっていき、細分化が進んでいきました。そうなると、同期が今なにを作っているのかもわからない。「ずっとアンテナのこの部分だけを作っている」とか「ずっとプロコトルをいじっている」といった感じで。

 「どんな製品がいつ発売されるかなんて関係ない」という感じになってしまって。“冷たいモノづくり”になってしまっていました。うまくいかないので予算もつかない。すると会議では「お金はないのでこれは入れられません」と。その会議をしている時間で盛り込めたんじゃないのかと。

 このマイナスな状況を打開できなくなった責任の一端は、企画を担当する自分にもあると感じていました。私一人で責任を感じていてもどうにもならないことですが、結構必死でした。せめて目の届く仲間ぐらいは気持ちが安らぐ場所があったらいいんじゃないかと。明るいカフェを作っておくから、そこでパンケーキを食べにおいでと。ニコニコ昔話をして、リフレッシュして、「じゃあハローワークいってくるよ」と、そういう場所にならないかなと思っていたんです。みんなにモノづくりに戻ってほしかったのです。

ハッカソン参加でよみがえった「電気の通ったモノを作りたい」という思い

――再び家電を作る仕事に復帰されたきっかけは?

中澤氏
 2014年の9月末にau未来研究所がハッカソンを開催して、そのお誘いを受けたことですね。その当時“ハッカソン”という言葉も知りませんでした。検索してもよくわからない。「“IoT”ってなんだ? “IT”なら知ってるよ」とった感じで(笑)。

 商品企画をできる人を求めているということで、「じゃあ応募してみるか」と。参加してみたところ「あ、なんかプロトタイプが作れた」と。それで結構本気になって。カタログやロゴも作って、商標が被ってないかも調べたりして(笑)。そこで作ったのがIoT弁当箱「X Ben」(エックス・ベン)です。

 携帯電話業界から遠ざかっていたこの2年の間に、今までやりたかったことができるようになったのだな」と感慨深かったです。スキルをもった個人が集まって、モノを作ろうというムーブメントを実感しました。チームでモノを作る作業がすごく魅力的だったのですね。たった2日間のイベントだったのですが、とても楽しくて「ここで終わっちゃうのはやだ!」と。

 メンバーの士気も高かったので「もう一段階進めてみよう」ということになり。ハードウェアコンテストに応募して、その賞金で開発を進めようと考えました。いくつか応募した中、運よく経済産業省のフロンティアメイカーズ育成事業に採用されることになりました。

 フロンティアメイカーズで「X Ben」の量産設計に挑戦したとき、メンターを担当されたのが、「DMM.make」の小笠原治さんと、Cerevoの岩佐琢磨さんでした。当時はお二人とも存じておらず、Googleでどんな人なのか検索していたような感じでした。DMM.makeはその時できたばかりで、「自分のカフェの近くにこんな場所があったんだ」と。その出会いから一気にスピードアップして、ここまできました。

――すぐにメーカーを立ち上げて、製品を作ろうとということになったのでしょうか。

中澤氏
 私自身も去年の時点ではメーカーを立ち上げることになるとは思っていなくて、去年の今頃は来シーズンはどんなパンケーキを作ろうかなと考えていました。

 フロンティアメイカーズに採用された2014年の12月から、2015年の3月まではDMM.makeで一人粛々とお弁当箱を作っていました。4月からはカフェに戻るつもりでした。実際、4月と5月はカフェも忙しかったので、ずっと店頭に立っていました。

 6月のある日に、たまたま岩佐さんと「モノづくりはどうするの? もうちょっとモノづくり戻ってみたいと思わないの?」と、話す機会がありまして。

 「スマホを作りたい」と打ち明けると「作れるんじゃない?」という話になって。その次の日から既に動き出していました。じゃあ中国行こうか、と中国に行き、工場探そう、と。工場を見つけた、じゃあ交渉してみよう、と交渉する。というのを2カ月繰り返して、今に至る(笑)。

携帯電話にはすべての家電のエッセンスが詰まっている

――きっかけはスマートフォンだったのですね。

中澤氏
 はい。ほかの家電を作るのと同じように、携帯電話を作ってみたかったのです。

 メーカーのいいところは、ファンがつくところだと思っています。こういうところが好きだから次もこれにしようと選んでくれる方たちがお客様です。携帯電話の開発で難しさを感じていたのは、カシオ時代に「このメーカーはこのキャリアでしか出さない」というのが決まっていたことでした。そのキャリアを使っていない方にはアプローチできなかったのですね。

 カシオ入社直後に、総務省の「モバイルビジネス研究会」の議事録を全て読みまして、その中で「SIMロックフリー」という言葉を知りました。その時「これ、来るぞ」と感じました。「これが来たらもっとカシオの特色を出せるぞ、もっと突飛なモノを作ってみよう」と、ずっと待ち望んでいました。その前に幕を閉じてしまいましたが……。

 今の時代って、デジタルに疎い私の友達でも「SIMロックフリーでしょ、海外のSIMをさせるやつでしょ」って言ってくるんですよね。ようやくやりたかったことができるようになったんだなあという思いがありまして、スマートフォンを作ることにしました。

――そのほかのスーツケースやスピーカー、椅子といった家電はどのように選ばれたのでしょう。

中澤氏
 いろいろありますが、一番のルーツは「ガラパゴスケータイ」ですね。フィーチャーフォンはスペック競争によって、テレビが入り、カメラも高画素になり、と進化していきました。そこにはタッチパネル、画面解像度、充電、Wi-Fi、Bluetooth、3G/4Gのアンテナ、と家電に必要なモノがすべて詰まっているんじゃないかと思っているんですよ。

 その道のプロフェッショナルな方には怒られるかもしれませんが、感覚的にはすべてのエッセンスが詰まっていると思っていて、そこから抽出して、携帯電話の箱の中に詰め込むというイメージです。

 テレビってこうだよね、カメラってこうだよね、スピーカーはこうだよね、という本家本元の知識を調べてケータイに詰め込んでいたので、その知識は本家本元に戻そうと。ちょっと分解してみるともっといろんなモノが作れるんじゃないかな、という発想が、Bluetoothスピーカーを作ってみました、アクションカメラも作ってみました、というところにつながっています。

――UPQの製品には少しずつ機能的なこだわりも感じますが、ユーザーとして不満なところを解消していくアプローチで設計されているのですか?

中澤氏
 不満を解消するアプローチというよりは、結構遊んでるんですよね。せっかくなんで、ちょっとした「仕掛け」を入れたいと。

 通り一遍に機能がそろっていて、面白おかしくはないけど便利なモノというのも、作れると思
うんですよ。でも、なんかちょっと変わっていて、ワンポイント面白くて、みたいなモノの方が、記憶に残りますよね。

 スマートフォンもそうなのですが、UPQとして我々が作っている製品は、極論、無くても死なないと思うんですよね。キーボードはほかの手法がありますし、私が作るスピーカーがなくても死ぬことはないでしょうし。ですが、それに「いいね!」といって、手に取ってもらう、使ってもらうということを考えると、人間が作るモノですから、何か愛着のわく仕掛けを詰め込むと魅力が上がるんじゃないかな、と思っています。

 私、昔から「愛着」と「仕掛け」という言葉をよく使っていて、ケータイでも「1・3・5・♯を同時に押す隠し機能が発動する!」みたいなのとか、心くすぐられると思っていて、老若男女問わず、長く使ってもらったときに琴線に触れるような仕掛けがあると、人間らしくていいかな、と思っています。

――今回の「UPQ Phone」にもそういった隠し機能が?

中澤氏
 今回はありません(笑)。この端末は、布石なんですよね。スマホって、箱の中に、ディスプレイより小さい基板が入ってしまえば、あとは部品の組み合わせなんですよね。一度箱を作ってしまえば、この後これを使ってもっと面白いモノが作れる。それを最初から作ってしまうのではなくて、まずはシンプルな形で商品化しようと。
中澤氏
 今の「UPQ Phone」みたいな形を求めている人もいると思っています。「格安SIMフリースマホ」として市場に出ている製品は、日本語対応が微妙だったりとか、技適が通っているのか不安だったりとか、単純にデザインが選べないという不満があると思うので。一回この市場で製品を作ってみたいと思っていました。

 限られた期間で完成させたこの製品にも、こだわりを入れたところはあって、初期設定のホーム画面は1画面だけなのですが、その中には私が必要だと思うモノを整理してまとめています。押し付けすぎない起動アニメーションなども、細やかな部分でこだわりをお届けしようと思っています。

――低価格帯は激戦区になっていますが、「UPQ Phone」は価格と性能のバランスが取れた製品になっていますよね。

中澤氏
 価格を出してしまったので誰かが追いついてくるとは思います。ただ、ここだけで戦うつもりはありません。いろいろなところに石を投げてみて、みんなで競争しようぜ、みたいなのも面白いかなと思ってます。私がやっているのは携帯電話メーカーではなく、家具・家電メーカーなので、市場の活性に協力できればなと。

 クラウドファンディングで資金調達して開発していくようなスタートアップとは違って、もともと大きなメーカーさんだったら、品質が高いモノを最初から出せるのではないかと思います。「家電を作るのがつらい」と言っていたメーカーのみんなが、楽しく作っていけるようになればな、と。

――現状、どの製品の注目度が高いですか。

中澤氏
 今は「UPQ Phone」と「Q-display」ですね。店頭に置かれるようになると、また変わってくると思います。

――UPQの製品には、コンセプトカラーなどの「仕掛け」がありますが、今後どういった展開を考えられていますか。

中澤氏
 カラーでコミュニケーションするというのは、スペックだけで語られたくないというのがまずあって。メーカーの人に対しては、季節の色やシーズンカラーを2〜3カ月で変えると面白いでしょ?と。

 今回、椅子とスピーカーを出していますが、こういうモノは別々で作ると、だいたい2カ月で作れるのですよ。でも、私が作りたかったのは、それを一体化したモノなんです。そういうモノは、いっぺんに作ると、椅子としての安全規格を保つ試験のノウハウを貯めることと、Bluetoothのスピーカーとして音質を保ったり認証を通したりといったことが全部一緒になってしまって、開発期間が大きく伸びるんですよ。

 なので、別々でやってみて、そのノウハウを一緒にする、ということができるようになるので、「なんで椅子やスーツケースが入っているんだろう」というのは、後々組み合わせたりすると面白くなるんじゃないかな、という狙いがあったりします。

――次の製品の構想は?

中澤氏
 むちゃくちゃあります(笑)。

――実際にプロダクトを出されるとなると、お客さんともコミュニケーションが必要となりますが、その体制は。

中澤氏
 実際に手に取ってくださったお客様からフィードバックをもらっています。こんなに反響があるとは思っていなくて、私自身、追いついてない面もあるのですが。結果的に顔の見えるメーカーの人になったので、実際にお客様と触れ合って商品を開発する機会があるので、そういうのは楽しいなと感じています。

 サポートについては、予想以上に反響が大きく、メールサポートもなかなか追いつかない状況ですが、人員を増やしつつ、必死で対応しています。お客様に迷惑をかけるわけにはいけないので、すみやかにサポート体制を整えるよう、Cerevoさんと動いているところです。

――現時点でUPQに注目しているのは、テクノロジーやガジェットへの関心が高い層のようですが、一般ユーザー層にも手に取ってほしいと思われていますか。

中澤氏
 両方あります。私は「ガジェッター」でもあるので、そういう人たちに手に取ってもらえるモノを作っていきたいとも思っています。私にとっても面白いので。

 ただ、コミュニケーションの仕方として、ガジェットに詳しい層だけで話している話題って日常に落ちて来ないので、詳しくない方達にもアピールできるようなところを両立していきたい。そのバランスを私の感覚で、試行錯誤できるのが、大企業ではない今の体制のいいところですね。

――本日はどうもありがとうございました。

(石井 徹)